美醜と差別と損得
私はよく自分の顔が優れていないことを嘆きます。かわいくないかわいくない、こんな顔嫌だ嫌だって。
でもある日、ふと思いました。そもそも、一体私はなんでこんなにも自分の醜さを気にするのか、と。
容姿を貶められることへの不愉快さの正体はなんなのでしょう。
単にブスだとなじられることが、精神的にダメージを負うからということも確かに事実です。
けれども、これが「自分の顔が醜いことを嫌がる一番の理由」ではないと感じています。
先日、同じ不愉快さを感じるニュースが報道されました。
東京医科大学の入試試験で女子受験者が一律点数を減らされた、というニュースです。
(リンク https://news.yahoo.co.jp/pickup/6292073)
私自身は医学の道に進もうとしたことはないけれど、とてつもなく不愉快でした。
女性であるから、という理不尽な理由で勝手に改ざんされ、なおかつそれが受験者には知らされていなかった。この理不尽な配慮のせいで大学に合格出来ず、浪人せざるをえなかったり、医学科へ進むことを断念した人がいるはずです。その女性たちの立場に立つと、怒りすら湧いて来ます。
このニュースに対して私が怒ったことで、私は自分が美醜に対してこだわる理由が1つ、わかりました。
「美しくないから」「女性だから」という差別でうける「経済的損失」が大変不満なのです。
可愛い人、美しい人がうける経済的恩恵は計り知れません。たとえばご飯を奢ってもらえる、物を買ってもらえる、送り向かいしてもらえる、水商売での売り上げが変わる、等々。これらは全て、お金に通じます。
化粧品だってそうです。元々の顔立ちがいい人間は化粧の費用対効果が高いと言えるでしょう。それに比べ、そもそもの骨格がダメな人は費用対効果が低い傾向にあると思います。これも金銭的損失です。
事実、美人は人生で賃金の面だけでも2700万近く得をするという研究があります。(ただしこれはアメリカ人のみを対象にして行われた研究であり、美醜の定義も明確に定められているわけではないので、不十分な研究ともいえる、と個人的には思う。)
今回の事件でも、
「理不尽な女性差別によって経済的損失を負わされる」
ということが不愉快の原因の1つです。
医者という職業は収入がほかの多くの職種よりも多いため、ある意味では職業選択の自由を奪われたことでの生涯賃金による経済的損失。
加えて浪人をしたことによる経済的損失。
受験そのもののためにかけたお金が無駄になったこと。
これらが許せないのです。
女性差別については、一般企業での賃金の話も同様です。
結局はお金です。自分ではどうしようもない部分によって生まれる経済的損失が許せないのです。
自分がお金で理不尽に損することが許せないんです。
ここまでの書きなぐった文章を読んでくれた人がいたらありがとう。
自分が何を不快に思っているのかを明確にすることができてよかったです。
自分は経済学を学んだ身ではないので、多々おかしいところがあるかもしれませんが、そこは少し目をつぶってもらえるとありがたいです。
めちゃめちゃで申し訳ないです。でもあの事件、あまりにもあまりにも辛く悲しいのです。