せめて名前がつかなければなければ良かった
ADHDの人間の傾向リストにかなり当てはまっていたけど、私はADHDではない。
すぐに自分が何かの病気だと思ってしまう。私が追い詰められないと何もできないのも、準備がとっくにすんでるのに遅刻するのも、親しい友人との関係を継続することができないのも、やらなければいけないことをためてしまうのも、溜めて溜めて溜めて遂には全てゼロにする以外の清算の仕方を知らないのも、全部全部、病気のせい、だったら良かったのに。
そうだったら良かった。これらが治らないのは「治すための努力」が足りないだけだってことになってたかもしれない。
でも現実はそうじゃない。私はただの怠惰と無頓着の塊にすぎない。食事や住環境に関心もなく、公には言えない趣味を持ち、恋愛は興味もなければ縁もなく、毎日公式アカウントからのメッセージだけが届くiPhoneを落ち、誇れるスキルもなく、実現するわけもない空想を抱え、たいそうなバックボーンがあるわけでもない、不安症をこじらせただけのただの大人になれない20歳の人間でしかない。
私は社会的人間としての能力がなく、かつそれを補填しようともしない、反省しない人間だ。
田舎に育ってしまった、女として生まれてしまった、美しくない容姿で生まれてしまった。
足りないことに気づいてなかった。
18歳の女の子はその事実の重大さを知らなかった。
彼女はただの普通の人間どころか、普通にも届かない人間だった。
両親から多くのものをもらったが、ただ消費するだけの人間だった。なにも返せない、それどころか負債を増長するだけの存在だ。辛い。
せめて気づかない鈍感さがあればよかった。気づかなければそれは認識されないことと同じだ。
認識されなければ名前なんてつかない。
名前がなければ名前がないことに苦しめられなかった。
苦しみは忘れた頃にやってくる
トム・フォード監督の「ノクターナル・アニマルズ」を観た。正しくは「半分観た」。
気分転換にと思って観始めたが、およそ20分後。あまりの疲労に早送りをした。
しんどい。精神が削がれていくような気分がする。普段よく観るアクションやらミステリースリラーとは全く違う、精神的な疲れ。心臓の高鳴りは感じず、背中に伝う嫌な汗の気配がする。
没入しすぎるあまり、観るのをやめたくなる。でも、停止ボタンを押せない。流れ続ける映像に、ノイズなんてない。計算し尽くされた画面。構図、色、一瞬差し込まれる違和感。違和感のたびに、呼吸が止まる。
辛すぎて観るのをやめた。日が昇っているときにもう一度チャレンジしようかと思ったけど、それはなんだか違う気がする。この作品は夜に観たい。だって夜の獣ですから。
これと同じ気分を味わった作品を思い出した。コリン・ファース主演の「シングルマン」。
監督は、トム・フォード。
美醜と差別と損得
私はよく自分の顔が優れていないことを嘆きます。かわいくないかわいくない、こんな顔嫌だ嫌だって。
でもある日、ふと思いました。そもそも、一体私はなんでこんなにも自分の醜さを気にするのか、と。
容姿を貶められることへの不愉快さの正体はなんなのでしょう。
単にブスだとなじられることが、精神的にダメージを負うからということも確かに事実です。
けれども、これが「自分の顔が醜いことを嫌がる一番の理由」ではないと感じています。
先日、同じ不愉快さを感じるニュースが報道されました。
東京医科大学の入試試験で女子受験者が一律点数を減らされた、というニュースです。
(リンク https://news.yahoo.co.jp/pickup/6292073)
私自身は医学の道に進もうとしたことはないけれど、とてつもなく不愉快でした。
女性であるから、という理不尽な理由で勝手に改ざんされ、なおかつそれが受験者には知らされていなかった。この理不尽な配慮のせいで大学に合格出来ず、浪人せざるをえなかったり、医学科へ進むことを断念した人がいるはずです。その女性たちの立場に立つと、怒りすら湧いて来ます。
このニュースに対して私が怒ったことで、私は自分が美醜に対してこだわる理由が1つ、わかりました。
「美しくないから」「女性だから」という差別でうける「経済的損失」が大変不満なのです。
可愛い人、美しい人がうける経済的恩恵は計り知れません。たとえばご飯を奢ってもらえる、物を買ってもらえる、送り向かいしてもらえる、水商売での売り上げが変わる、等々。これらは全て、お金に通じます。
化粧品だってそうです。元々の顔立ちがいい人間は化粧の費用対効果が高いと言えるでしょう。それに比べ、そもそもの骨格がダメな人は費用対効果が低い傾向にあると思います。これも金銭的損失です。
事実、美人は人生で賃金の面だけでも2700万近く得をするという研究があります。(ただしこれはアメリカ人のみを対象にして行われた研究であり、美醜の定義も明確に定められているわけではないので、不十分な研究ともいえる、と個人的には思う。)
今回の事件でも、
「理不尽な女性差別によって経済的損失を負わされる」
ということが不愉快の原因の1つです。
医者という職業は収入がほかの多くの職種よりも多いため、ある意味では職業選択の自由を奪われたことでの生涯賃金による経済的損失。
加えて浪人をしたことによる経済的損失。
受験そのもののためにかけたお金が無駄になったこと。
これらが許せないのです。
女性差別については、一般企業での賃金の話も同様です。
結局はお金です。自分ではどうしようもない部分によって生まれる経済的損失が許せないのです。
自分がお金で理不尽に損することが許せないんです。
ここまでの書きなぐった文章を読んでくれた人がいたらありがとう。
自分が何を不快に思っているのかを明確にすることができてよかったです。
自分は経済学を学んだ身ではないので、多々おかしいところがあるかもしれませんが、そこは少し目をつぶってもらえるとありがたいです。
めちゃめちゃで申し訳ないです。でもあの事件、あまりにもあまりにも辛く悲しいのです。
どこまでも他人
「今、他人から見て、私はどう思われてるんだろう」と考えることがよくあります。
鏡を見た時だったり、街中の人と目があった時だったり。それが少しずつ蓄積して、人に関わるのが億劫になります。
「不快と思われていなかったか」と考え込むことがあります。
人と話したあととか、LINEとかでメッセージを送った後とかに。そうしてもうないようにしようと、人に連絡をしなくなります。
「あぁ、私こういうのが嫌いなんだ。」と思う行為があります。
それは人が話している時に自分の話にすり替えることだったり、SNSに自分の写真をあげることだったり。
それに気づくと、「私はこういうことが嫌いなんだから、しないようにしよう」と考えます。
少しずつ自分に制限をかけます。少しずつ、少しずつ。
気づけば、何をしたらいいのかわからなくなります。
嫌いな行為から、不愉快な事実から逃げてきました。
結局私が一番嫌いだったのは、「反省」することでした。
反省しないようにするために、すこしずつ自分と距離をとるようになったのでしょうか。
どこまでも傲慢で、自分本位で、八方美人で、独りよがりで、いつでも自分が被害者じゃないと気が済まなくて、けれどもそれを認めたくなくて、だから、
自分に起こる出来事は、どれもすべて他人事と思うようになってしまったのでしょうか。
自分のことを、他人だと思うようになったのでしょうか。
なにもかもがどこか遠くの出来事です。
わかりません。こんなことを書いたあとだって「へえ、そう。中二病乙」としか思えないんです。
自分のことなのに
ちょっと経って
今すごい気分がいいです。
自分で言うのもなんですけど、憑き物が落ちた感じがします。
今のところは。
家でずっと勉強してます。嘘です。ずっとではないです。まあでも5時間くらい?
元々勉強自体は好きです。黙々とやっていればいいし、新しいことを学ぶことも好きです。
でも今回、文転するんですけど、科目は国語、英語、世界史なわけですよ。
んで、受験生1回目の時は数学英語物理化学やってたわけですよ。しかも高2の時から理系授業しか受けてなかった(多分)から、世界史Bとか初タッチな訳ですよ。
やっっっっべえマジでほとんど知らねえ単語だ…
でも正直かなり面白いです。今はまだ心の余裕があるから面白みを感じられます。
古典文法とか漢文の返り字とかもへえ〜おもしれ〜と思いながらやれてます。
高校生のときはマジで嫌いだと思ってたんですよね。古典漢文。
古典文法とか古典単語とか助詞とか…置き字とか返り字とか…うっ…
だけど考えてみると、好きじゃなかったのって、決められた範囲を決められた期間でやれと強要されることだったんじゃないかな。反骨精神の塊ですので。
ゆっくり読むと面白い。英単語も、語源とか調べるのも好きだし。
本当に嫌いなものは何なのか、好きなものは何なのかってことを勘違いしないといいですね。
期間を決められて勉強することを強要されるのが嫌いな事に気づいてなかった。
本当に好きなものがなんなのか気づいてなかった。
自分自身について勘違いすると大変なことになるんですね。
これは思春期に気づいておくべきことでした。
多分思春期からミスが続いているんです。
中学からやり直してえ!!!!
人生最大の過ち
つまるところ、大学を辞めて田舎に帰ります。
目標は次の四月には東京に舞い戻ってくることです。
難易度はかなり高い。うーん、無理かも。主に金銭的な理由で。
今の大学辞めて、違う大学に入り直します。受験生再び。なんと弟と同じ年にです。
ごめんなあこんなお姉ちゃんで…
これは色んな人にこぼしてることなんですけど、私、理系科目が得意な文系だって大学に入ってから気がつきました。確かに冷静に思い出しても、物理とかよりも英語の方が面白いって思ってたし、歴史も好きでした。でもただ単に物理とかができるから、理系にしたんですよね。うん、圧倒的選択ミス。人生において最大の選択をするところでのデカすぎるミス。
3年前にこのことに気がついてたら、絶対に今こんなに苦しんでなかったと思うんですけど、もう起こってしまったことはしょうがないと思います。とりあえず、目下目標は自殺しないことにしておきます。
んあー、東京離れたくない。というか田舎に帰りたくない。
あそこなんっっっっっっもない!!!!
ちょっと時間を潰すための喫茶店とかないし、小腹を満たすためのファストフードもないし、本屋も電車で片道30分かけて行かなきゃないし、娯楽なんてスマホぐらいしかないし、映画を気軽に観に行くこともできない!!!ファストフードの店がないって何!?ファストフード食べるために車で30分もしくは電車30分!!!!!全然ファストじゃない!!!!!あとTSUTAYAも遠い!!!!!!!!(TSUTAYAヘビーユーザー)
あと薄い本を気軽に買えねえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
オタク的には死ぬほど厳しい。韓流好き的には多分気軽に渡韓できないって感じだし、宝塚好きにとってはライビュすら行けねえ的な感じね。よくわかってないけど。とらのあな、松本にも出店しないかな。無理か。
基本的に田舎が嫌いではないんです。空気美味しいし景色綺麗だし。
でもそれでもやっぱり何もないのはきつい。だってやばくない?家出ても行くとこないんだよ?今だったら山の手線乗って気軽に東京駅行って丸善の本店で新しい本探してまた電車乗ってどこかで映画観てそのままご飯食べて帰れるんだよ?すごい!(一息)
それに対して田舎、自動改札機すらないんだよ!?!?!?!
うちの最寄りは未だにないです。Suica?もちろんつかえないです。
あと人と気軽に会えない。遠い。寂しい。
でも帰んなきゃいけないんです。
嫌です。それでも帰んなきゃいけない。
あー世界爆発しないかな。しないか。
またちゃんと進路が決まったら、ちゃんと連絡します。
連絡するの苦手だけど、ちゃんと忘れずにします。
だからしばらく友達のままでまっててください。
お願いします。
みんなと遊びたいです。